#商品開発秘話“ずんだジャム”にかけた想い

私は、栗原市のはずれにある鶯沢で、代々農業を営む家に生まれました。
私が育ったころの農村では、お正月、彼岸、お祝い事などの際に、お餅を食べる習慣がありました。いろいろな味の餅がある中でも、“ずんだ”餅は私の大好物。採りたての枝豆が持つ独特のコクと香りに砂糖を合わせた味は、とにかく絶品でした。毎年、枝豆の旬である夏が来るのが楽しみだったほどです。

 

 

学生以降はお菓子づくりに魅せられ、農業を継がず菓子製造の道へ。28歳で独立開業し、洋菓子やパンを製造してきました。そして平成20年ころ、仙台駅などでたくさんの種類の“ずんだ商品”が販売されていることを知り、一通り食べてみることに。しかし原料の枝豆はほとんどが外国産で、“ずんだ”の味わいも、私が子どものころに食べた味とはかけ離れていることを実感したのです。「宮城の名産として販売されている“ずんだ”を、もっと美味しいものにしたい」危機感を覚えた私は、自分の手で“ずんだ”を開発することを決意しました。

 

同じころ、私は、イタリア製の真空低圧調理機との奇跡的な出会いを果たしていました。当時国内にはほとんど出回っていない機械で、その性能、可能性に、私は強く魅了されていたのです。「この機械で、地元の新鮮な枝豆を使えば、きっともっと美味しい“すんだ”がつくれるはず!」との確信のもと、“ずんだ”開発はスタートしました。

 

 

 

 

 

しかし、通常のルートでは、冷凍の外国産枝豆しか手に入りません。そこで私は、実家の畑で枝豆を育てることを思いつきました。実家は代々農家。今は亡き母にお願いして、栽培のサポートをしてもらいながら、枝豆づくりを始めたのです。採種場のアドバイスをもとに、“ずんだ”に適していそうな5種ほどの品種を選ぶと、そこからは試行錯誤の連続。さまざまな苦労もありましたが、「子どもの頃に食べたあの“ずんだ”の美味しさを、多くの人に味わってほしい」との気持ちで乗り越え、“ずんだジャム”が完成しました。現在は枝豆の栽培生産を、地元・栗原の(株)愛宕産土農場の佐藤社長に引き受けていただいております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パレットの“ずんだジャム”は、何十年も続く“ずんだ”への想い、亡き父や母の愛がなければ完成しなかったでしょう。そして何より、故郷の土で育った、新鮮で良質な枝豆がなければ、これほど自信を持ってご提供できる“ずんだジャム”は完成しませんでした。

 

皆さん、栗原育ちの枝豆をたっぷり使用した“ずんだジャム”を、ぜひ一度お召し上がりください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

店主 髙橋 寛